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京都五山別格の山門と『絶景かな』。
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魂が浄化される『見返り阿弥陀如来』。
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新緑と紅葉に映える阿弥陀の古寺。
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足利義政公所縁のお寺『東山文化を開く』。
銀閣寺は正式には東山慈照寺名と云う。室町幕府8代将軍の足利義政が造営した楼閣建築である観音殿を「銀閣」と通称し、観音殿を含めた寺院全体を「銀閣寺」と通称している。、金閣と通称される鹿苑寺舎利殿には金箔が貼り付けられているのに対し、銀閣と通称される慈照寺観音殿には銀箔は使用されていないが、全体に黒漆が塗られていたと考えられている。
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武人から文人へ枠人を極めた石川丈山。
徳川家の家臣 石川丈山が隠居のため造営した山荘で 石川丈山は、日本の三十六歌仙にならい、林羅山の意見を求めながら、中国の漢晋唐宋の各時代から詩人を36人選び、狩野派の狩野探幽ならびに狩野尚信に彼ら36人の肖像を描かせ、詩仙堂の詩仙の間の四方の壁に掲げた。これが「詩仙堂」の名前の由来です。
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大書院、小書院の造りと紅葉の参道。『幽霊の掛軸』。
車種 | 定員 | 料金 |
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ジャンボ | 9人乗り | 53,900円 |
中型車 | 4〜5人乗り | 41,300円 |
湯豆腐でなじみの南禅寺は臨済宗南禅寺派の本山です。1291年(正応4)亀山上皇の離宮を賜り、無関普門(大明国師)が開山しました。室町時代は隆盛を極め、「五山之上」に列せられたいました。応仁の乱で伽藍を焼失した。その伽藍を『黒衣の宰相』といわれた以心崇伝によって復興。境内には勅使門、三門、法堂、方丈の伽藍が一直線に、その周辺に12の塔頭が並んでいます。三門(重文)は、伊勢の津藩主藤堂高虎が寄進しました。方丈は、大方丈と小方丈に分かれ、大方丈は御所清涼殿を、小方丈は、伏見城殿舎を移築したと伝えられています。小方丈の襖絵は狩野派の狩野探幽の手により描かれた「水呑の虎」は有名で、小堀遠州作の大方丈の前庭(名勝)は「虎の子渡し」と称され、江戸初期の代表的な枯山水庭園です。