狩野益信の描いた逆遠近法の襖絵は必見の価値あり。
赤穂浪士所縁の寺。遺品など沢山の展示品もあり。
献上用の氷を取った氷室池、水戸黄門寄贈の石灯籠など。
勧修寺「かじゅうじ」は亀甲山と号する真言宗山階派の大本山です。京都では地名と同様に「かんしゅうじ」と呼ばれることが多い。「かんじゅじ」と云われることもあります。 昌泰3年(900)、醍醐天皇が母である藤原胤子の菩提を弔うために胤子の祖父にあたる宮道弥益の私邸を寺としたのがその始まりです。藤原氏庇護のもとで代々の法皇、親王が入寺し門跡寺院として栄えます。 勧修寺の書院庭園には樹齢750年と云われるハイビャクシンが地を這うように生えていて、徳川光圀の寄進と伝わる灯篭、俗に云う「勧修寺灯篭」を包み込むようです。この灯篭は別名「雪見灯篭」、「水戸灯篭」とも云われています。
小野小町所縁の寺。深草少将の百夜通いの寺。
太閤秀吉が最後の花見をした醍醐寺の塔頭。
藤原家の菩提寺、親鸞聖人所縁の国宝丈六阿弥陀如来座像。
〒612-8418 京都市伏見区竹田向代町594番地 電話:075-661-3901 ファックス:075-661-3788
勧修寺「かじゅうじ」は亀甲山と号する真言宗山階派の大本山です。京都では地名と同様に「かんしゅうじ」と呼ばれることが多い。「かんじゅじ」と云われることもあります。
昌泰3年(900)、醍醐天皇が母である藤原胤子の菩提を弔うために胤子の祖父にあたる宮道弥益の私邸を寺としたのがその始まりです。藤原氏庇護のもとで代々の法皇、親王が入寺し門跡寺院として栄えます。
勧修寺の書院庭園には樹齢750年と云われるハイビャクシンが地を這うように生えていて、徳川光圀の寄進と伝わる灯篭、俗に云う「勧修寺灯篭」を包み込むようです。この灯篭は別名「雪見灯篭」、「水戸灯篭」とも云われています。